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では続きです。
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自分は周りにいる人間とは違う
なんていう、ぱっと見厨二臭いというのか、そんなことが頭に浮かんだ。今となればさほど深刻でもないことにはなるのだけれど、当時の自分からすれば重たい事実だった。
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他の人と同じになれたこと
周囲の人間と自分との間にあるこの違いというのは、無視どころか軽視できるものでもなかった。
他人と同じようになれないという認識は、自分のことを一人するには十分なほど重みのある、歴然とした事実だった。
…とまぁぶつぶつ言ってるけど、今でこそそんなことはあまり感じない。
自分が目にし、触れることができるものの範囲が広がったからなのか、他の人と違うのは自分だけに限ったことでもなく、そしてむしろ他の人と同じになってしまうのはひどく退屈なことなのだと、今まで思いもしなかったようなことにまで考えが至るようになった。
10年も経ってしまえばそんな風に変わるものらしい。
サークルにいた頃、自分は他の人と同じだった。
同じような学生で、同じように同性を好きになって、同じように過ごしている。
他の人と違うということが引き起こす孤独感に、ひどく苦しめられてきた高校時代とを比べるととても安泰で、落ち着いていた。
この感覚がいわゆる普通な人が経験するものであって、環境なのだと知った。
(だからこそなのか、自分の周囲の人間が温室育ちのようにも思えてしまったのだが、ゆくゆくはこの考えすらも変わることになる。)
そんな落ち着いた場で出会った人々の中で、友達を作ったり、恋愛をしたり、そういう風に人間関係を作っていくことができる。
普通の人が高校時代から経験するようなものを、自分たちは今、大学時代になってようやく経験ができるということで、サークル内ではよく「青春を取り戻せ」なんていう言葉が流行ったりした。
自分自身のことを気づき悩んだ末、多かれ少なかれ挫折を経験しているであろう人たちからすれば、取り戻すなんていう言葉も、その的を射ているのかもしれない。
普通に恋愛して、普通に学生生活を謳歌している普通な人たちというのは、それほど輝いて見えたのだろう。
まあ当然ながら、遅ればせながら訪れた青春というのは、喜べるものがある一方、苦悩するものもある。
ただそれを含めても、自分にとってはそんな風に関係を築いていける環境が大きくて、大事なものだった。
最初のイベント
サークルに入って最初のイベントは、夏の花火大会だった。
誰かと花火を見るなんていうのもあまり経験がなかった。高校時代も結局誰かとこうして遊びにいくことも少なかった。
せいぜい近場のカラオケに行くとか、そんな季節感のないものばかり。
こういうイベントごとを楽しむのは新鮮で、大学生になった自分と高校生の自分との大きな違いだった。
先日あった説明会の時とは違い、このイベントには他のサークル生も多く出席していた。
そこで知り合った先輩と後々仲良くなった。
なんだか不思議な感覚になった。
ここにいる人たちはほとんどみんな、自分と同じような人なのだ。
世間的に見れば、はぐれもの。
そんな人がこんなにも沢山いて、集まっている。
自分のことに引け目なんて感じる必要はない。
そしてそういう逸れものだったからこそ、その共通点だけで、いろんな人に会うことができている。
目の前の花火よりも、その事実の方に感動していた。
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