『24歳の散し書き・前』はこちらから。
形にできないものを、残そうとする抗い
24歳の一年に、大きな喪失を経験した。
そのことを考えると、少しは成長できたのかな、とも思う。
誰かと一緒にいることの難しさと楽しさ、失った時の喪失感と、今の自由。
人生ってこういうことの繰り返しなのだろう。
知らないことを知って、経験したことのない痛みもつらさも味わって。
その分、幸せな気持ちにもなって。
死ぬほどつらい思いもするし、幸せで泣いてしまうこともあった。
そのどれもが、間違いなく存在した本物の気持ちだし、なかったことになんてできない。
だから、その一つ一つをちゃんと文字に起こして、残そうと抗う。
文字にできない感情が多すぎて、自分の手から零れて消えてしまう感情もあったけど
いつかこの経験が、自分の生き様とか価値観とか人間性とか、形のないそういう部分に、ちゃんと残ってくれたらいいな。
誰かと接する時
人のいい所をみつけられて、そこに焦点を合わせられる人って素敵だなって思った。
自分の両親とか、好きなドラマに出てくる大学の先生とか、今の職場の上司とか。
自分の周りには何故かそういう物や人が多くて、少し不思議ではある。
もしかしたら自分が好き好んで、そういう人や場所を選んでいるのかもしれない。
そういう人たちは決まって、誰かの悪口なんて言わない。
その姿がかっこよくて、素敵だ。
そんな人になりたいと、大学生になる前、両親にカミングアウトした時に思った。
あの時と比べたら、今の自分は素敵な人たちに近づけたのかな。
予感のする方へ。
自分が大好きなものだったり、
一緒にいて楽しいなって思える人だったり
こんなこと、できたらいいなって、想像とか妄想しちゃうだけでわくわくすることだったり。
そういうのがあるのって幸せだと思う。
それはきっと、何事にも興味を持って、子供みたいに好奇心を強く持てた人に訪れる、幸福だと思う。
魅力的な人が自分の周りにいないのなら、どんな人なら魅力的に思えるかな、って興味を持って考えなきゃいけない。
いろんな人に会って、その相手に触れて、確かめなきゃいけない。
好奇心だけは持っておこう。
いくつになっても。
エピローグ おわりに。夜の月
高校生の時、Twitterを始めた。その時、どんな名前にしようか悩んだあげく、
kuroyaという名前に決めた。
(実はこのハンドルネームを知っている人と、未だにつながりがある。)
高校生が決めるような痛々しい名前だ。
でも結構いろんな意味が込められている。(若干後付けでもあるが)
kuroyaは黒い夜。白夜の反対。つまり、「明けない夜」のことだ。
他の人とは同じように生きられないことを悲観して、永遠に日の目をみることができないことを意味した。
でも、夜は夜で悪くないよな、とも思えたのが大学生の時だ。
昼間だったら見えることのない星がたくさんある。
日の光でかき消えるような光も、全部見える。
…
そんなことを、誕生日前日の月を見ながら思い出した。
相変わらず痛いこと言ってるなーなんて自分でも思うけど
自分の何十年もある人生、その全て、周囲を気にした「格好つけた自分」でいるのも疲れる。
痛々しくて結構。
そういう時に、潔く痛い自分でいれた方が
自分の気持ちに、真っすぐでいられると思う。
高校時代の10代から変わったこともあれば、変わらないところもあって。
これから20代も後半にはいるわけだけれど
自分の好きなところはそのままに。
そしてもっと魅力的だと思える人たちに近づけるように、
少しずつ、頑張ろうかな、って思う。