行と行の合間にある、その休息に 4

むかしの自分を思い起こすと感傷的になってしまう。

胸のあたりに靄(もや)というのか、うっすらと質量のあるものが薄く広がるような感覚。

こういう時、すっきりした気分には当然なるはずもなく、晴れやかな気持ちとは程遠いものになる。

それでもそれに浸っていたいと、僅かながらに思えてしまうのは

どういう理由から何だろう。

目次

昔のこと

 

やり取りしているメッセージが一覧になって出てくるページ。

そこで、思い切り下の方にスクロールしてみたりすると、昔やり取りのあった人が出てくる。

そういったものを整理する気のない自分からすると、昔のグループは特段抜けることもないし、そのまま放置しているものが多い。

その中で、高校時代にやり取りしていた人を見つけた。

気になってそのプロフィールの画像を見ると、恋人と思わしき人との写真。

あー、きっとあの時一緒にいたみんなも、結婚していたり子供がいたりするんだな。

みんな、それぞれが自分の人生を歩んでいる。

今更やり取りする気もないし、今後も恐らくは関わることのない昔の友達。

あの時はみんな同じように、同じ立場で同じ学生だったのにな。

 

こういう時決まって胸のあたりに、もやーとしたものが浮かぶ。

それを説明しようにもうまく言えないのだけれど、置いて行かれるような、取り残されるような感覚だった。

ライフステージを着実に上がっている昔の友達。

もう接点がないからこそ、こうやって昔のことに執着している自分というものが浮き彫りになった気がして、余計に感傷的になる。

 

こういう時、昔のことにしか目が向かなくなるのだから危ない。

あの時から着実に自分は変われているし、良い方向に自分の人生は進んでいるはずだ。

(少なくとも今の自分はそう思っている。)

安っぽい言い方しかできないけれど、ある程度成長はできているはずだ。

昔のことに目を奪われると、自分が成長できたことに目が向かなくなる。一方で今はもう関わりのない友達だった人が、何故か輝いて見えてしまう。

それ故必要以上に、感傷的になってしまう。

別に取り残されているわけでもないというのに、そんな風に思得てしまう。

 

 

昔のやり取りや友達を見つけてしばらく経った後、思わずはっとした。

自分の意識が過去に向けられている、その瞬間の自分は、文字通り抜け殻のようで、胸と体内の肺や心臓との間にある空間に、空虚さが満ちていた。

今の自分は、ここにいて、ここで働いている。

そして今の友達や恋人と、家族がいる。

ぼーっとしてしまい目の前の景色に焦点が合わない、そんな状態から、 

今自分の目に映る景色へと焦点が合い、急に戻ってくるような感覚。

いつもそんな風にして、現実に戻ってくる。

 

今に目を向けなきゃな、と自分に言い聞かせた。

過去に囚われたって、何かいいことがあるわけでもない。

 

そうは言いつつも

現実へと戻ってくるまでの合間、あの空虚さに浸っているのも、

どうしてか悪い気分ではない。

 

 

 

 

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