行と行の合間にある、その休息に

あの時のことを振り返るのも、一度ここで休息。

あの日あの時思っていたことの、答えをここで。

 

○「夢」

 

好きな人と、海外に行ってみたいな。

 

そんなことを思っていた。

自分が好きになった人が恋人になる。

そんなことすらまともにイメージできなかった時代。

そんな時に、漠然とした思いを持っていた。

27になった今、もうそんなことはとうに叶えられていて、現実としてそれを経験してしまった。

してしまったと言うと、さも良くないものとしてネガティブな印象があるけれど、そんなことはなく

ただ、あれだけ遠くの理想として描いていたものも、叶えてしまったのだから

なんだかあっけないというか、あの時切望していたこの理想を、

あまりに壮大なものとして捉えていたのだろうな、という風に感じてしまう。

そうであったとしても、

その時の気持ちというのは変わらず自分の中で

大事にしておきたいものでは、あるのだけれど。

 

○「幸せと皮肉。大人になること。」

 

井の中の蛙なんだと思う。

自分の世界はすごく狭かった。

家と、学校、それから塾の往復。

ネットはあったけど、それでも繋がるのは自分の友達だけ。

高校生の自分には、どこか遠くにいく術はなく、

自分の世界はその三つだけで完結していた。

だからこそ、そこで生きるのに息苦しさを覚えた。

結婚が普通の幸せ、異性と付き合うのが普通、孫の顔を見せるのが親孝行。

そんな風に、思いこむ他なかった。

(少なくともそれが普通だった)

だからこそ、それ以外の幸せがあるとも思えなかった。

そしてそんな風に普通の幸せになれないと悟った時が

自分の人生で初めての、挫折だった。

 

すごく強い雨だったり、風というのは、狭い空間では脅威になる。

でも広く大きな空間では、一番激しい場所から遠く離れることができる。

それと一緒だ。

井の中の蛙だった僕には、自分が周りと異なるという事実はとても大きく、

逃げ場がなかったために脅威だった。

挫折してしまうには十分すぎた。

 

そんな時代を経て、自分の生きる環境は大きく広がり

自分の考えも価値観も変わっていった。

でも正直、昔のように何かを、今でなら大袈裟とも思えるような捉えかたができるのも、

それはそれで、貴重だったのかもしれない。

昔のように、一つの事柄に大きく心が動かされることも少なくなった。

もしかすると、これが大人になるということなのかもしれない。

安定はする。けれどなんともつまらないことだな、とも思ってもしまうのだから、皮肉だ。

 

いろんなことを経験してしまった。

その場から逃げる術も得たし、自分で自分の環境を決めることもできるようになった。

一度見た映画をもう一度見た時、もう二度と初回と同じ感動を得ることができないのと似ている。

でも、そうやって、「あの時みたものと同じか」と決めつけてしまってはつまらない。

違う捉え方ができる。現実、全く同じ出来事の繰り返しに生きている訳ではないのだから、

似たような経験ではあっても、必ずどこかに違いがある。

そのどれもに、初回のような感動があれば、きっと楽しい。

 

だからこそあの時の記憶があるうちに、こうして文章に残している。

「初回」の気持ちを覚えておくために。いつでも思い出せるように。

そしてあの頃と今は全く違っていて、

今も新しい出来事に直面しているんだ、と思い、感動するために。

きっと大人になることへの、惨めな抗いなのだろう。

 

何事にも感動できなくなる、というより動じなくなるというのが大人ならば、

そんな大人になんてなりたくはない。

 

なんていうことを、

27の某日深夜、考えている。

この瞬間も、きっとこの時だけのもの。

 

 

 

 

次回の更新は次の水曜日です。

それまで少々お待ちください。

 

 

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