好きなものに関する一考察

 

少し広めの歩道がある大きな橋。

そこから横に逸れるようにして下に降りるスロープを伝い、ゆっくりと降りていく。
その先に真っ直ぐ伸びる道と、白い線、そして等間隔に並ぶ街灯。

こういう道を1人で歩くのが好きだ。

人と車の通りが少ない道を、小さめの音で。アップテンポでもローテンポでもない、その合間をすり抜けるような曲を選ぶ。

嬉しくもなく、悲しくもない。けれどちょっとだけ、切ない。

うまく言えないけど、黒とも白とも言えないような、そんな気持ちに浸ることが好きだ。

 

わざわざ言葉にしなくてもいい。共感されなくてもいい。ある種の気軽さが、そこにはある。

 

音楽とか映画とか。あと本も含めて、日々どんなものを見ているのか教えてもらうことが多い。

車を走らせながら聴かせてくれたもの。
暗くした部屋で見た、Netflixの映画。
何度も読み返している小説。

こういう音楽や映画、本というのは、その人の根っこというか、根幹というか、そういうものを表している。

その人の心に刺さるもの。

その人にとって、それがどうして心に刺さるのか考えてみると、その人の弱さだったり信念だったり、滅多に人に見せないような部分がちょっとだけ、透けて見えるように思う。

だから誰かに好きなものを教えてもらえると嬉しい。
その人のことをもっと、知ることができるから。

 

取り留めのないことが頭に浮かんでいる内に、もう帰路の半分まで歩が進んでしまった。
イヤホンから流れるこの曲も、いつの間にか終盤に差し掛かっている。

ああそうだ。

これは昔、好きだった「誰か」に教えてもらった曲だった。
一時は嫌いになりかけたこの曲も、今じゃ好き好んで聴いている。

誰かに教えてもらった曲。
でも今は、きっと自分の弱さを色こく映す、そんなものになっている。

 

もし好きな曲とか、本、映画が何かと聞かれたら、きっと僕はちょっとだけ恥ずかしくなる。

だってそれは、僕の弱みを映したものだから。

でもだからこそ知ってもらいたくって、

そういう弱いところも、全部受け入れてくれる人を探している。

 

そして同時に知りたくもなる。

貴方の好きなものを。

 

 

 

 

 

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