『劣等感に溺れる・前』はこちらから。
夜と朝とが隣り合う、隙間で・後
思わず目をそらしたくなるような、太陽の光が滲みだす。
半分の月と、末明(ほのか)に色づく赤色の空が
隣り合う時間。
ようやく眠気が訪れる。
寝不足な時に特有な、浅くなる呼吸と、早い心拍に不快感を覚えながら
肌寒い空の下、半ば強引に身体を奮い立たせ
駅に向かい、歩き出した。
傲慢と謙虚さ
「自分の意見とか、考え方とか、感覚って、絶対なものじゃないじゃん?」
「青信号って、何事をするにも、なんかスムーズ?みたいな印象があっていいことだと思うけど、
赤信号ほど安全なことはないと思うんだよね。」
「横断歩道を渡る時、多分きっと安全に渡れるような感覚になるんだけど、実はそれってたまたまであって、
そこに車が突っ込まないだけなんだよね。」
「その反面、赤信号、渡らない、何もしない、これって結局、結構安全だったりするわけなんだよ。」
「青信号が安全に渡れる合図だとしても、」
「赤信号の方が実は安全。」
○
個人の尺度とか価値観とか
そこに絶対なんてものはなくて。
だから
「普遍的な真理」と断定できもしない、そんな個人の尺度で他者を評価することは
きっと行き過ぎた傲慢。
そういう、病的なまでに謙虚な姿勢に、
私は強く惹かれてしまう。
子供でも大人でもない、その間にある何かに。
劣等感に溺れる「子供」では、もうなくなった。
誰かと比べても幸せになれないことを、痛く突きつけられた。
人がそれを「幸せ」と呼ぶ、その「幸せ」を最初は信じていたけれど
その「幸せ」というものも、実は絶対的でないことに気づいた。
同じようにして、人の評価ですらも、絶対ではないと知るようになった。
自分の目で見て感じたものを大事にするのはいいけれど、
他人が同じような景色を見ているとは限らない。
他人が見ている景色は想像するしかない。
そこをどれだけ推しはかり、どれだけ自分と違う景色なのか、
自分の知らない世界を知ろうと足掻くしかない。
そこで、他人も自分と同じ世界を見ていると、決めつけてしまえば
もしかすると見えたかもしれない、自分にはない新しい世界は一向に現れなくなる。
決めつけてはいけない。
その尺度に、価値観に、絶対なんてものはない。
○
他人は自分とは違う景色を見ている。
自分は、自分にしか見えない景色を見ている。
そう思うだけで、
自分の世界を大事にできる。
他人と自分は違う。
そうやって考えに考え抜いて、想像した結果得られるのが
自分にとっての本当の幸せなんだと思う。
絶対なんて、そういうものがないことに気づいた時、
他人と違う、自分について強く認識した時、
きっと人は子供ではなくなる。